価値基準とシステムについて
自分の職業はサービス開発を責務としたプログラマーとして位置づけているのですが、割とサービス開発に関わることの全般というと責務が広いのもあって採用などもやっていたりします。なので、たまに採用育成などについて情報を集めたり考えたりする機会があったりします。人材ということについて、考えたことがあったのでここにまとめておきます。
「人材、人財」ということばについて
かつて自身も採用に際して人財という言葉を用いました。それはひとえに、人を材料のようにあつかうよりは、もっと大事なものとして言葉にしたほうが良いのではないか。ダジャレっぽいけど、企業にとって大事な財産として人財という言葉を使っている人たちがいる。人材よりは人財の方が良いななという判断です。
一方、最近思うのは、人をお金と同じように扱うのはどうなのか、ということ。会社としてはひとりの個人より、会社全体の財務状況が大事ということがあるだろう。ただ、逆にあなたより、会社の財務状況が大事ですと言われて良いか、と言われたらそんなことはない。人は積み上げる資産にように存在しているのではなく、一人ひとりユニークな個人として存在している。そしてその多様性は維持していかなくてはいけない。
更にいうと、個人的には会社はプロダクトを中心に存在すべきで、優れたプロダクトなしに財務状況が良くても、僕はその会社にあまり価値を感じない。そしてプロダクトは、特にソフトウェアプロダクトは、それに関わる人なしには存在し続けることはできない。
採用における成果指標の管理などで必要となる局面はあるが、それ以外の局面においては気をつけたい言葉だと思う。人を単純に積み上げればよいわけではない。
人材ビジネスの変化
少しだけ、人材ビジネスについて書く。SESや採用エージェントも昨今変わりつつある。エンジニアを原価や在庫として扱うことの間違いを直している動きとも言える。大きなビジネススキームが構築されているので変更は容易ではないかもしれないが、SESからの転職の動きや、リファラル採用等への動きをみて見れば分かるだろう。
ここで気をつけなくてはいけないと思うことは、自分自身を人材のように扱うことだと思う。移行が始まっているのだから、古い仕組みの方に引き込まれてはいけない。
会社やビジネススキームの局面において、全体的なもの中で自分を扱われることもあるだろう。一方で、自分自身が、自分を扱うときがある。採用にしろ、営業にしろ、PRを送る際にしろ、自分自身を材料のように扱うのではなく、ユニークな個人として提案や考えを伝えるのが良いとおもう。
自分自身の価値基準を持つ
システムの価値認めつつ、それを構成する一人の個人の価値を尊重する。個人個人の尊重のもとチームを作り、チームによってシステムを開発・改善をする。これは両立であって、過度にどちらかに依存をしてはいけない。そのためにも、しっかりとした自分の価値基準を持つことが大事だと思う。そして個人の価値基準はユニークで良い。むしろ同じでないほうが良い。
僕自身はビジネスより社会変革の方が価値があると思っていて、社会変革のためビジネスを利用するという考えを持っている。社会というのは、ひとりひとりの個人で構成されていて、変革というのは、その個人の違和感や希望や不幸によって変革の引き金となる。なので、それらの変化の種を非常に大事にするし、何の違和感に共感できるかという点になると人と意見を異なることが多い。
何れにせよ、自分のオリジナリティをシステムに取り込まれないようにするため、自分自身の価値基準をしっかりと持つことが大事だ。特にシステムを作ろうとする人間はよりそれが大事になる。