AIエージェント時代の学習空間について
AI時代に学校は不要になるのか
AIエージェント時代が本当に来るのかは、まだ分からない。しかし、Claude Code や Codex のようなツールが開発現場の働き方を変え始めていることは確かである。知識を調べ、整理し、文章を書き、コードを書き、修正する。そうした知的作業の一部は、すでにAIによって大きく補助されている。
では、この変化は学習空間に何をもたらすのか。AIが個別最適化された教材や問題を生成し、学習状況を可視化し、必要に応じてコーチングまで行うようになったとき、学校や塾は不要になるのだろうか。
私は、この問いの立て方自体が少し乱暴だと思っている。大きく再設計されるべきなのは、同じ年齢の生徒を同じ教室に集め、同じ教科書と同じ進度で管理するような、従来型の学校制度である。一方で、安全に失敗し、他者と関わり、自分の価値観を磨くための学習空間は、むしろ重要になる。
この記事では、AIエージェント時代における「制度としての学校」と「空間としての学校」を分けて考えてみたい。
ここでいう学校制度とは、同年齢の生徒を同じ教室に集め、同じ教科書・同じ進度・同じ評価軸で管理する仕組みを指している。一方で、学校空間とは、安全に失敗し、他者と関わり、自分の価値観を磨くための場を指している。
既存の学校制度の何が問われているのか
インターネットが普及したことで、アプリやWebサービスで十分学べる、YouTubeなどで面白い授業が見られる、Zoomなどのオンラインミーティングで授業をやってくれれば十分だ、だから学校はもういらない、という意見がある。昨今ではAIの登場によって、この意見がさらに加速している。
ただ、私はこの意見には同意しない。学校は必要か不要かという対立にしてしまうと、制度としての学校と、空間としての学校が混ざってしまうからだ。
学校制度については、以前書いたなぜ教育機関は能動的学習に転換できないのかの7つの仮説や、イヴァン・イリッチの『脱学校の社会』を下敷きに、とっくに限界に来ていると考えている。イリッチの批判は、学校は本来、人を学ばせる場であるはずなのに、実際には「学びとは学校に通うことだ」と人々に思い込ませる制度になっている、というものだった。AIによって、その限界はさらに見えやすくなる。
まず、テクノロジーが進化し、知識の習得という意味では、学校という場所が最適ではなくなってきた。そのうえで、社会制度としての学校には、知識そのものを問うのではなく、卒業証明を買うようなビジネスになっている側面がある。また、これは功罪の両面があるが、教育は純粋な学問だけでなく、社会に役立つかどうかという生産性やビジネスの論理にも取り込まれている。
そうした背景から、能動的学習のほうが良いということは、概ね共通の理解になっていると思う。しかし、学校現場からは大変な声も聞いている。個別最適化学習を導入しようとしても、予算も人員もない。ひとりで数十人の生徒を見なくてはいけない状況の中で、何ができるのか。苦しいながらも新しいテクノロジーを導入しているが、それが古い教育制度を維持するために使われているケースもある。
本来は、苦しいながらも変化を目指せる同志を募るために行動するのが良いのだと思うし、そうした行動をしている人たちはとても尊敬する。
AIによって知識習得はどう変わるのか
いまのAIが驚異的なのは、特定の回答がある大学入試のような問題を解けるだけではない。複雑なアプリケーションの実装や不具合の発見など、一部の専門的なタスクでは、専門家に匹敵する、あるいはそれを上回る結果を出す場面も出てきている。
これまで知的と呼ばれていたさまざまな労働において、AIが高いパフォーマンスを出し始めている。こうした意味で、単純な知識習得の意味は変わりつつある。このことは非常に重要な前提となる。
数年前、ある教育関係者に、アルゴリズムによって大学入試に出てくるような問題を個別最適化して学べるアプリについて質問したことがある。技術があるのであれば、もっと違うところに投入すべきなのではないか、と。
その回答は、どうしても学ばなくてはいけないことは技術で圧縮して効率よく学び、そのうえで生まれた時間をクリエイティブな学びに使えばよいのではないか、というものだった。完全に納得したわけではなかったが、まあ、そういう考えもあるかなと思うところはあった。
AIの登場によって、この考え方はさらに進むと思っている。たとえば、生徒が本当に学びたいことをベースに、生徒のレベルに応じた教科書をその場で作ることができる。理解度を確認するための問題集もすぐにできる。学習状況を可視化し、必要に応じてAIがコーチングすることもできる。
そうなると、同じ教科書を使い、同じ教室で、同じ授業を同じ進度で聞く必要性は下がっていく。バラバラに学ぶと進捗確認をどうするのか、という問題はある。しかし、AIによるコーチングと、システムによる学習状況の可視化によって、教師が全体を把握し、個別に調整が必要なときに介入するという形は十分考えられる。
なぜ学習空間は重要になるのか
では、学校や塾といった学習空間は不要か。そんなことはない。知識がコモディティ化するからこそ、安全であり、他者と関わりながら多様性を確保できる、良い意味で違和感のある空間はより重要になる。
学習空間に求められる役割は、大きく3つあると思う。
1つ目は、安全に実践できる場であることだ。座学においては、一定程度正解のようなものがある。一方で実践においては、事実は連続しており、端的に何が正解か分からないことが多い。失敗したことが成功につながることもあるし、逆もまた然りである。実践においては、正解っぽい選択を選ぶことと同等以上に、出来事に意味づけすることが大事になってくる。そうしたことを学ぶには、安全で実験できる空間が必要になる。
2つ目は、他者との違和感に出会う場であることだ。AIはとても賢くなっているが、時たまハルシネーションと呼ばれる、間違った情報をあたかも正しいことのように出力する現象がある。ハルシネーションがなかったとしても、文脈次第で、うまくいかない事実を列挙することがある。
また、単一のAIだけに依存すると、より強いエコーチェンバーとなる可能性がある。AIには、こちらが心地よく感じる議論を返しやすい傾向がある。だからこそ、自分の考えが否定されたり、他者との違いに違和感を覚えたりする経験が重要になる。そうした経験は、多様性が担保された空間でしか得にくい。
3つ目は、価値観を磨く場であることだ。AIによって、知的作業の生産性が大きく高まると、これまで重視されてきた「速く・効率よくこなすこと」の意味も変わっていく。そうなってくると、タイパ思考のようなものはまた変わるかもしれない。人はなんのために生きるのか、という問いに向き合う機会も増えてくるだろう。自分自身の価値観を磨く必要がある。そうしたものは、他者と触れ合うことでしか磨かれないと思う。
これらを考えると、物理空間で支えてくれる他者がそばにいることや、そこへの所属感があることの意味は大きい。知識を得るだけなら、学校の必要性は下がっていくかもしれない。しかし、実践し、他者と関わり、自分の価値観を磨く場としての学習空間は、むしろ重要になる。
まとめ
AIエージェント時代の学習空間について議論するべきことは、大きく2つある。
ひとつは、AIエージェントベースの学習をデザインし、そのための新しい学校制度を作ること。もうひとつは、それらを前提とした学習空間、物理空間、人のあり方を、リアルな世界に関わる中でコミュニティとして作り上げることである。
理想は、機動性が高い塾で得た学習ログやプロジェクト経験が、公共性の高い学校の探究に接続することだと思う。これは、学校を塾に置き換えるという話ではない。むしろ、塾の機動性と学校の公共性をどう接続するか、という話である。
その後、学校で見えた課題が塾や地域で深掘りされるように、学習空間どうしが往復可能につながっていく。そうした関係性を設計できれば、AIエージェント時代の学びは、単なる個別最適化に閉じず、より豊かな実践へと広がっていく。
知識の習得だけを見れば、学校の必要性は相対的に下がっていくかもしれない。しかし、実践の中で出来事に意味づけを行い、他者との違和感を引き受け、自分の価値観を磨く場としての学習空間は、むしろ重要になる。
だからこそ、制度としての学校と、空間としての学校を分けて考える必要がある。AIエージェント時代の学習空間をめぐる議論は、そこから始まるのだと思う。
補足:この記事の背景となった実験・リサーチ
この記事はいくつかの実験とリサーチを経たうえで書いている。引き続き実験は継続しているし、新しい実験の準備もしている。そのため論旨が変わる可能性はあるが、現時点での考えをまとめたものになる。
具体的に参考にしている実験として、技術メディアZennで公開したAI時代のプロダクトは「固定された成果物」ではなく「可能性の束」になる !? - Cookflowを作ったがある。この実験では、AIエージェントを活用してプロダクト開発を行う際に、従来の「固定された成果物」から「可能性の束」へのシフトが起こることをプロトタイピングで示した。
このベースとなったリサーチが、experimental-commons で公開したAI時代のプロダクトはプロセスになるである。experimental-commons は私が作ったウェブサイトで、気になる事案のリサーチと初稿作成のほぼ全部をAIエージェントに任せ、人が企画・編集に関わっている。
experimental-commons でのリサーチで参考にしているのは、身体性、AIエージェント、分断社会、ウィトゲンシュタイン、言語の限界、LLMの限界、およびAIエージェント時代の学習空間である。最後のリサーチが、この記事を書くきっかけになった。
また、これまで書いてきた記事として、2020年以降、教育業界はどのように変化するか(するべきか)や、なぜ教育機関は能動的学習に転換できないのかの7つの仮説もある。
なお、Zennの記事を書く際は、AIを使って企画や仕様を策定し、そのまま実装した結果を見ながら、AIエージェントに記事のファーストドラフトを書いてもらう流れにしている。このWeb日記に関しては、AIを誤字チェックなどの校正や自動翻訳に使うことはあるが、今のところファーストドラフトは手で書くことにしている。