ゲームとエンジニア就職(攻略)
最近のエンジニア就職における考えが、どうも僕自身のゲームとの関わり方を想起する部分があったので思考整理、備忘録的にメモを残す。
僕は80年代生まれでファミコン(1983年7月15日)、スーパーファミコン(1990年11月21日)の登場や、その後のサターン(1994年11月22日)、プレステ(1994年12月3日)と登場というのを思春期に経験をしてきた。
1991年に登場したアーケード版のストリートファイター2から始まるアーケードブームも経験した。1993年に登場したバーチャファイターに見せられて3Dゲームに惹かれていく。これは高校進学しゲームへの没頭(ニュアンス的には自分のアイデンティティ化)は薄れていく2000年前後まで続く。
それ以降は人並みにコンソール(家庭用ゲーム)を少しやったり、ブラウザゲームをやったり、ソーシャルゲームをやったりはしたが、今は殆どやらない。しかしながら、ゲームというもの(概念)の存在は僕の中で大きなものとして残り続けている。
ゲームのどこに魅せられたか、現代風の言葉を使うと、ナラティブと言える。ナラティブとは英語で「物語」「話術」などを意味する単語ではあるが、ストーリーと対比する意味で使われる。ストーリーと異なり皆が同じひとつの筋道を話すのではなく、一人ひとりが語れる筋道が開放的に存在する概念だ。
例えば、アーケードにおける有名プレーヤーの存在や、攻略方法がまとめられたノートが各種のゲームセンターにあったのは、今思えばナラティブ的だったと思う。また、それが故に、ゲームというものが僕自身を投影できる概念となり、のアイデンティティとして成立できたのだと思う。
これに脅威をもたらしたのがインターネットだ。登場初期は掲示板でナラティブを拡大するように寄与したが、次第に攻略法が一つにまとめられるようになってくる。しかもかなり精密な情報で。そうすると次第に、マニュアルのように情報が参照され、ゲームの技術も一つの正解不正解、好手悪手といった世界になっていったように思う。
RPG などにおける体験の変化が顕著で、登場初期は謎解きゲームで頭を捻らせて、誰が解けたかなどを学校などのコミュニティーで話された。不具合さえも、一つのナラティブになっていた。それがインターネットの登場後は、情報を見ながらゲームをするマニュアルに沿ってゲームのストーリー追うような体験になっていったと思う。ゲームは語られるものではなく、一つの最善の攻略をするようになっていったと思う。(全てのゲームではないが…)
僕がゲームから本格的に離れる理由はここにあったと思う。
昨今見る(ソフトウェア)エンジニアの就職戦略、生存戦略も同じ道をたどっているように思う。エンジニアになると仕事の裁量が多い、そうした仕事得たい。そのために最速最短でエンジニアになりたい。エンジニアとして就職するためのベストな方法はなんですか?…と。
一方で身近で楽しそうにエンジニアリングに没頭している人を見ると、非常にナラティブ的といえる。尊敬するエンジニアがいたり、プロダクト開発を続けてきた中で得た語り得ぬ経験があったりする。
もちろん無駄な努力をする必要はないが、そもそもソフトウェア開発自体が避けたいような苦痛を伴うものであれば、エンジニアリングやものづくりの楽しさの本質からそれてしまっているように感じる。コンピューターが動くのが楽しい、ユーザーの反応が楽しい、みんなと作るのが楽しい、そういったことを忘れてはいけない気がする。
要するに、エンジニア就職において攻略法、正しい方法みたいなものを参考にするなとは言わない。むしろある程度参考にしたほうが良いと思う。しかしながら、それだけでは無いということ、攻略法を超えたところに本当の楽しさがある。それを意識できると良いよね。ということに落ち着く。